03 tokyo calling

ほぼ音楽blog

がく氏に衝撃を与えたアルバム #14 [Stone Rosesと、わし]




ORELP502


CDではなくLPだ


翌週にはORECD502も買った


その日は池袋WAVEに行くのも少し駆け足だったと思う

Silvertoneも商品の"CD定着"に本腰入れたみたいだ

She Bangs The DrumsからシングルもCDとして発売に踏みきった

1989年になると"レコードよりもCD"が定着し、
小さいインディーズもニーズには応えないといけなくなった

ま、アルバムはフォーマットとしてCDは最初から決まってたろうが
当時は長期サッチャー政権による不景気どっぷりなイギリス
CD生産も本国ではなかなか出来ず、コストの問題もありSilvertoneのCDもやはりオーストリア製だった



NMEで発売日はわかってた

いつものように池袋WAVE

地下への階段を降りあの新着コーナーの壁へ

CDがなかった

他の新譜らは飾ってあるのに
諦めながら帰ろうとした
その時、

アナログコーナーに“それは”あった


Stone Roses

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正直、最初はアナログを買うつもりはなかった

なんか、

なんでか、
なんとなくアナログを買った

今考えると
CDも発売されているのにアナログだけを先に買ったのはこれが最初で最後かもしれない

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最初からWalkman用にカセットへ録音しながらの “初Stone Roses

印象は“良い”だった

ただ、最初はものすごく良いとまでは思わなかった
Byrdsの影響あるかな、な印象

しかし、録音したカセットを数回も聴いていくと
奴らの存在がデカくなることに時間はかからなかった

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えらいアルバムに出逢ってしまった

89年3月

ジョンレッキーも
3年でシングル3枚の無名なガキらのプロデュースをよく引き受けたよな

数々のイギリスマイナーなアルバムや売れるきっかけとなる有名なアルバムなどを引き受けてきた有名プロデューサーも
今回は制作する段階でえらい奴らやと気がついただろう

本によると
やはり“けた外れ”なレニのドラミングにはびっくりしたらしい
あとは加入したマニのベースも若者がやる感覚ではなくすごい感性のあるベーシストだと感じてたはず

そういうのをひっくるめてジョンレッキーの感じたことを聞きたくなる

完成した時ではなく
出会って作る過程での彼の感じたことを


こんなガキらが
“今”にとらわれずしっかりしたソングライティングを持つことにも驚いたはずだ

正直、Liveはドラムとベース以外は下手くそである
なのに相手をしている彼らには自分らの“曲”がある

出来上がるにつれ、興奮しただろうな
作る側の喜びってそういうもんだと思う

まぁ..最初はわしも英語がわからず(笑)
“憧れられたい”や“俺はキリストの復活”とかは当たり前だがわからず

が、やっぱり

“俺はキリストの復活”である

どういえばいいか、
大事な曲はあれど、奴らには大袈裟に言えばこのラストだけでいいのである
アルバムはこの1曲だけで成り立つのである


Byebye Badmanで的確に、シンプルやのに、こちらを踊らさせてくれたレニのドラミング

この曲の後半の叩き方は
何か違うな..と
変な意味全くなしの、こいつの叩き方は出会ったことないな..と最初から思った

その感触をひきづりながら”復活”までたどり着き、”復活”を聴くと
もう、とんでもないのである

レニという奴が

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その辺に詳しい東京ドームの知り合いにテープに録ってあげた

その人は一般でいうテクニック重視?なメジャーを聴くタイプだった
少し前だったか、Stone Rosesは気になってるという話をしてた

その人にテープをあげるなり、翌日にはその人はそのテープの虜になっていた
後にその人のおかげでわしはとんでもない宝物をもらうことになる

そんなことはその時はわかるはずがなく..




東京ドームの仕事にはコンサートスタッフもある

いろんなのをした
遠出もさせれられた

しかし、こんなもんか...という感じで未だ金を出してコンサートには行ったことがなかった



ある日、家に電話が

テープをあげた、あの人からだった

「新聞見た?」

わけわからず、まして1人暮らしだ
新聞なんかとらない

「ん?どしたん?」

すると

Stone Rosesが来日するぞ!」



当時、先行予約というのは
電話ではなく
“そこへ”並ぶのである
ぴあよりも今回のように毎朝ある新聞のほうが早かったりもする
わしは並ぶこととかも知らず...

「行くに決まっとるじゃんか!」

わしの返事で決まり
その人は青山?のUDOに朝早く並んでチケットをゲットしてくれた

当時からわしは
なんで決まった席で楽しまなければいけないのかが理解できなかった
その頃から芝浦ファクトリーやチッタが生まれ
バイトにも行ってたからよけいだったんだと思う

公演にはチッタが含まれてた

そう、グラブチッタ川崎さ

勿論、チッタをお願いした

が、チッタは確保できなかった
ほんまの即完売だったらしい

んで
簡易ホール、五反田だ
チケットを確保してもらったくせにちょっと残念だった

しかし、奴らのLiveだ

向こうでは29位が最高ポジションだった奴らに異国のアジアで即売り切れなのである

UDOにはかなりの人が先行販売にかけつけたらしい
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奴らの何がここまでさせてくれたのか

奴らの“自信”だ

そこらへんの奴らとは違う自信だ

売れまいが自分らを信じている

自分を見失っていない

ハイプか?
ハイプでも、ブレていない

生き方は違えど
聴く側もそうでないといけないと思わせる

実際、そうなのだ

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また奴らのポリシーもわしは共感した

“アンコールは絶対に応えない、しない”

そういうお約束なんはLiveにはいらない
オーディエンスとの一体感が生まれたらそれでいい

チケットを手にしてからはもうウズウズしてたのを覚えてる
勿論、初めて行くLiveであり

初めて行くLiveがStone Rosesである


ある雑誌の広告が上手かった

でかでかと

“幸福モノだけの3日間”

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その内の1日をもうすぐ体験するんだと思うとたまらなかった


年末のインタビュー記事だったか、
次に発売予定のシングルに質問をされて、


「びっくりするぜ、あんたら俺らがこんなもんしかしないと思ってるだろ?くそ食らえだ!
次はファンクさ!」


もろ、ファンクだった

それがまた気持ちのいいファンク
初のトップ30でもあり
チャートの2位まで登った

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話を戻すと
さあ、Liveだ

五反田だ

チッタなんかじゃない
五反田だ

入口前ではダフ屋うろうろ

んな中、スタッフが

「本日の公演はアンコールはありません。ご了承の上入場してください」

なアナウンス

(こんなん、このLiveだけやろな...)

にやけながら入場した



さあ、Liveだ


S席前列3列目だ

今から考えても幸せ者だ

3列目だ

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奴らだ

もう、興奮しまくりだった


イアンは、ほんまにへたくそだった

それでいい


マニのベースはうねり


ジョンはずーっと下を向いたままギターに集中

それでいいんだ、
かっこつけなくていい


クレッサもしっかりいる
踊ってた(笑)


それよか


それよか
レニだ

奴がいる

奴が叩いてる


ほとんど奴しか観てなかった

凄い



当時の奴らのLive、
スタートの曲とラストの曲は決まっていた
アルバムの最初と最後である

それはわかってた

わかってたから
早く最後を体験したかった

“復活”を体験したかった

ツェッペリンもどきなんやない


それは“奴ら”だった


早く最後を体験したかったくせに
いざ最後になると終わってほしくなかった

これが最後の曲とわかっていたから終わってほしくなかった






奴らが発したこと
わしらが信じたこと


これだけで意味がある


人間、そない完璧なんかなれない

奴らも“金”で変わってもうた

それを責めるつもりはない

敏腕マネージャーに従ってサインをしただけだ

当時で2番目の?巨額契約だったらしい
あの当時のゲフィンやからね

巨額契約でいうなら当時一番の契約額でサインしたR.E.M.は、やっぱプロだな..と思う

が、Stone Rosesはガキだったのかもしれない


生活が変わり
薬にハマり

2度目の来日にも行ったが

最悪だった...

脱退したレニはいない

アコースティックセッションなんかしたり

アンコールもした
(しやがった)

スター気取りにみえた

いや、
スター気取りだった



なぜ仲間を信用しないのか

なぜBegging Youでドラムマシンを使用したのか

レニはショックだったらしい

奴が既にボロボロだろうが
レニに 叩かすべきだったのだ


それがその時の奴らなのだから

 
隠さずさらけ出して

そして、気持ちよく別れたらよかったのだ





二年ほど前か、
何故か向こうでは再結成の噂も

仲直りはできるのか
それよかレニは叩けるのか



わしには
ORELP502さえあればいい

わしはあの時いた

それだけ



それだけなんやけど

意味がある



わしは

奴らを知っている