COMPLEX/1990~RUNBRING MAN
これは2011年の東京ドーム公演音源の2日目のほう
解散のドームは仕事してるが
ゲート固定されてて、たしかずーとモギリか警備員だったはず
正直、当時は全く興味なかった
やっぱ洋楽じゃったし
ただ、奴らが発表したシングル、Be My Babyには正直やられたのをはっきり覚えてる
この曲しか知らずに震災まで
震災になる前から吉川晃司は少しずつ評価していた
(偉そうですいません)
もっと前は歌いかたがどうもダメで受けつけずにいた
今でもYouTubeで観る当時の映像を観ると、馬鹿だな~って思う(ファンの方すいません)
続けていくことが評価としてどうしても外せないわしには少しずつ奴の評価が上がり、まして広島人ってのが大きい
馬鹿を続けていくとかっこよくなるもんだ、なんて、し続けてくれないとわからないし
それでも音源を聴くまではいかず...
ほんまに怖かった
あの時はほんまに怖かった
日本がどうなるかわかんなかった
余震は止まらんし
原発もえらいことになるし
何月だっけ?5月かな?
HMVサイトのトップだっけな~
白のバックにぽやけた二人
吉川晃司は自転車修理に装い被災地へ行ってたのは後から知って
後からゆーにはその時は音楽でどーのこーのは無理、
音楽には力はない、と
今は行くしかない、という選択しかなかったみたいで
少しずつ余震が落ち着いてきたかからか、
このチャリティー目的のライヴ
結論からくるチャリティーの戦略というのは失礼だが、発想は"ビックネーム"が求められる
ライヴエイドと同じ
全然いいと思う
吉川晃司だけより、よぎるのは
単純に集められるのはCOMPLEX
ライヴ当日も過ぎ、
どんなんだったのか、ものすごく気になり
月日が経ち
YouTubeでこのライヴまでのドキュメンタリーがアップされてて何度も観た
これがものすごく共感できたし、
吉川晃司や布袋とかよりも、
COMPLEXの"この時"がものすごく好きになった
ほんまに好きになった
最初は曲順とかまだボードには書かれてない状態が、
結局はラストライヴと全く同じ曲順
結局二人にはあのラストライヴが最後と決めていたわけで再結成したくの今回なわけではなく、
やる以上はオーディエンスを単なる再結成みたいな喜ばせかたはしたくなかったんだと思う
それでは意味がなく
このステージとオーディエンスとの向き合いかた意気込みかたはあの日のままでいいと
皆があの日から月日が経っただけにしたかったんじゃないかと
曲が進むごとにオーディエンスは曲順があの日と変わらないことに気づいたはずで
CDは2日目でBlu-rayは初日
聴き比べると正直2日目がいい
また2日目のオーディエンスの気持ちが伝わる部分がわし的にあり、
1990からRunbring Manにかけてのオーディエンスの歓声だ
マイクの拾いかたにもよるのだろうが、2日目のオーディエンスの一体感は凄いと思う
最後だと思うと余計にあーなるのは自然なんだろうな~って思う
COMPLEXの二人も感じたんやないかと
最後のフレーズ、最初から布袋が歌うことになってたんかな?
1日目は吉川が歌いきるのが2日目はノリで吉川が(最後、歌って!)ってふったんやないかな~?
ま、それはないにしても最後を布袋が歌うとこが何回聴いても鳥肌が立ちそうなんだよね
そのあと1曲あるのはわかってても締めを布袋の声でしてるようでね
またこんな、二人に考えさせることが起きない限り立ち上がることはないんやないかな
この最悪の事態のような日本のかたちから再び二人を立ち上がらせることは起こらないほうがいいのかもしれないし
起こってほしくないし
でも吉川晃司は実感したと思うし、オーディエンスも実感したと思う
音楽には力があると