03 tokyo calling

ほぼ音楽blog

二枚の




素直に愛されている曲は
良いことだし

ほんま、曲げたくないし

ただ、経緯というか

なんで、
上側というか光にあたるものだけというか

光にあたってても
扱われかたが違う



そもそも発案をしたボブは
行動もなにも電話と向きあい
世界中の売れている奴ら
また、面識のない奴らばかりにノーギャラを含めの、交渉をし

世に出た2つの盤も
ボブの発案のイギリス盤が先で

アメリカ盤といえば、
イギリス盤に賛同し

もしくはもし早くてもイギリス盤が制作発表した時に、

"そうだ、アメリカ側の僕らもやろう"

と行動したのは間違いないはず

言葉は悪いが"真似"である


2つの盤が生まれたことにより
あの世界同時に各国で行われた画期的なステージも
わしはチャリティーというステージには正直そんなにノれないが、
この企画だけは100パ賛成である

チャリティーとはいいながら
参加者をまとめるのはどんな仕事でも同じだが大変だ

それこそ音楽業界では
この企画に参加する参加しないにもよるが、各アーティストやバンドのプライド高いエゴが黙ってでも見えてくる
売れた者だけが陽にあたるような位置は、やはり金やプライドの戦い

そういう枠を"なんとなく"越えて

あの2つの盤

あの日

同じあの日でも場所と話は少しズレるが
元春はニューヨークへ行くまでは好きだった
ま、それはどうでもいいのだが元春のあの日の行動には
堂々とはできないが影で拍手をしたい

意味ある記念な日に
アホなフジスタッフらによるミーハーなクソな会話ばかりを待ち時間に聞かされてたらノーギャラでも意気込みがしぼむわな

ま、大人社会ならやはりアホらしくて帰るのはやめたほうがよかったけどな

アーティスト側の賛同する気持ちと
作る側の気持ちが違うとたしかにダメだよ



2009年、マイケルが亡くなり
時々二枚のうちのの一枚、アメリカ盤がながされ、
アメリカ盤の存在をかみしめながら死を悔やむ

わしは性格が悪いし
性格がインディ寄りなのか
発案者ボブが、もし亡くなった時
世界はどうしてくれるんだろう?

かなり小さいテロップで終わり
数分で時は過ぎるんだろな



記念な日だからこそ
U2のあのステージには何回観ても涙がでるし

なんでわしは売れていくU2を見捨てなかったか

それはまぎれもなく、言いきれる

テレビで、この日のウェンブリーでのU2を観たからである

音楽だけをするのは簡単かもしれないが
彼らにはそれ以外にも人間に必要なものをあのステージで見せてくれたから

観る側の気持ちを大事にする、
まるで子供のような大人を
危険だろうが”今”を大事にしなきゃと

こんな日をお互いどんな気持ちで迎えているか

勿論、観る側は観たいだけかもしれない

が、チャリティー

今じゃチャリティーというのも普通に開催され認識も自然だと思う

あの盤とあの日は
画期的だったんじゃないかな

こんなに賛同する業界だなんて当時は驚きだった

今じゃノーギャラも当たり前、自然?かもしれんが
その枠を越えて自然にしたのはボブだ

それが無かったら

あの二つの盤も
あの日も無いってこと

そして今も無いかもしれない

U2のこととは違うが
好きではないQueenのステージなんて.....凄い

凄すぎる

落ち目でやっぱイギリスに戻ろうみたいな雰囲気な時のあの時期であり、

そして、あの日

あのオーディエンスも凄すぎだ
見捨ててないというか
音楽は見捨てられないというか、

ファンではないわしだが言いきれる

あの日のあのウェンブリーににもしわしがいたら
そんなことは絶対にしないわしだが
わしは両手をあげているよ

あの日だから



先日、ハイチ地震での被災者救援チャリティー盤が制作され
マイケルらの曲を今を輝くアーティストらが参加した映像がながされてた

あの時と同じように

映像が終わり
アナウンサーが

「いやぁぁ~、凄いですねぇ~」

わしからは
全然、全く凄くない

ボブがしたこと
あの85年、レコーディングスタジオに集まったアーティスト達に比べたら初めてしたことってのは
後から繰り返されることと比べたら、
比べられないほど、ものすごく輝いている

勿論、そういうのは比べるものじゃないのはわかってはいる

わしはボブの音楽はヒット曲の一曲しか知らないし、好みからしたらそない好きにはなれない


ただ、

もし、


もし、ボブが亡くなって扱われ方がマイケルと比べものにならないほど小さかったら

音楽業界の



世界の

罪は重い